「Memory of Asahi」
                  (朝日初登の思い出)



 私事ではあるが最近車に乗っていて頻繁に感じることがある。それは信号のある交差点では必ず黄色に変わる。めったに車の通らない田舎道で右折を試みると必ず対向車が現れ待たされる。自宅にバックで入ろうと停車していると必ず後続車と対向車がやってきて混乱する。
 このように間の悪い出来事を上げれば枚挙にいとまがない。一体何でこうなるのだろう。偶然で済ますには出来すぎで、誰かの悪意を感じるのは偏屈者の証なのだろう。
さて、このような偏屈な人間にも時には良いこともあるのが世の不思議なところ、朝日連峰に初めて入ったのは二昔も前になるだろうか、その頃の自分は山の常識など持ち合わせず、あこがれだけの無謀な山行であったと今は思う。

 鳥海山はもっとも身近な山で単独日帰りオンリーで足繁く通っていたが、若かった自分は景色や花を少しは愛ではしたが、山頂往復を主題にした山行ばかりで他の登山者との交流など無かった。かといって他の山への関心もそれほどなく唯一心動かされたのが朝日であったのも偶然だろう。地形図とガイドマップを求めあれこれ考え決定したのが日暮沢からの大朝日岳の周回コース、6月中旬のことである。もちろん単独行であった。

 一世代前の朝日の山小屋は記憶の中でセピア色になりつつあるが、その頃の日暮沢小屋は泊まるには勇気がいる佇まいだった。小屋前には結構の車が駐まっていたように記憶している。たまたま通りかかった人に登り口を確認し急登に取り付く、天気は小雨程度だったので半袖で登るが初めてのルートで先が見えない為か心理的圧迫感もあり苦労した。清太岩山に着いた頃には風も出てきて雨脚も強まりカッパを着た。当然視界は乏しく期待の展望は雲の切れ間にチラッとだけ、自分が雨男だと認識した瞬間でもあるが、初めて見る深く切れ込んだ谷筋に連峰の深さを思い知り衝撃を覚えた。

 肌寒いほどの天気なので行程は思いの外はかどり誰もいない龍門小屋で昼食とした。この小屋にこのあと憑かれたように通うことになろうとは、この時は考えもしなかったが、視界ゼロの中で竜門山の残雪をどう登ったかは記憶にない。昼食中に現れたパーティーがザイルとピッケルを持っていたのに驚き、自分は場違いな山に踏み込んだのではないかと不安になったのを覚えている。しかしここから大朝日までの行程は終生忘れられないものとなる。

 昼食後小屋から竜門山までの登りで一汗掻いたら雨脚が強まる。フードを目深に被り足下に視線を落としなだらかな尾根道を黙々と進む。と、突然ガサガサと聞き慣れない音が響いた。瞬間視線を上げると右手の藪から黒い物体が猛然と飛び出して来た。が、すぐに前方に走り去りガスの中に消えた。一瞬何が起こったか全然理解できないでポカンとしていたが、それがクマであったことを理解するのに時間はかからなかった。もちろん野生のそれを間近に見たのはこの時が初めてだ。と同時にブルブルと震えが襲ってきた。我が両足は花崗岩と化し動かすことは困難。それはもがき苦しむ白昼夢のようであった。そんな間の悪さは昔も今と変わらないなとつくづく思う。

 その後は見通しのきかないところでは「う〜〜!」と意味のない唸り声を上げながらおっかなびっくり探り足で進む。天気が良ければ最高の眺望と心地よい風に吹かれながらの天上の散策なのだろうが、残念ながら何も見えないし何処に自分がいるかもわからない有様、しかしながら天は我を見捨てず、素晴らしい出会いがこの後に待っていた。
それは一瞬にして我が心を魅了し息をつくのも忘れるほどの衝撃だった。

 ぼんやりした景色の中から突然現れたその花は、この世のものとはにわかに信じがたい純白の衣をまとった天からの贈り物のようだった。初めて遇うウスユキソウにはそれほどのインパクトがあった。そしてこの花目当ての朝日通いが暫く続くのだ。
 後でわかったのだが、ウスユキソウの綿毛の輝くような白さは、咲き始めからほんの少しだけ見られるもの、遅くなるとドライフラワーのようになる。厳冬期の新雪が時の経過と共にたどるような感じと言えばわかってもらえるだろうか。ゴツゴツした殺風景な稜線に咲く様はコマクサにも似ているがもっと品があるように思う。

 視界の利かぬ稜線で次々現れる純白の天使を愛でながらの行程は西朝日で現実に帰る。わずかな雲間からの大朝日のピラミダルなシルエットに元気をもらい、雪に埋もれた金玉水から溶け出た水を拾い、大朝日小屋に何とか辿り着いたら精も根も尽き果てた。
 小屋の前にあった鐘を鳴らしていたらガスの中からひょっこりと単独行者が現れ、この夜は二人で小屋を独占、現在は混み合うこの小屋もその頃は天気が悪ければ夏でも一人独占出来たこともある。米沢からと言う彼にはタケノコ汁をご馳走になり吾妻や朝日、飯豊の話を夜遅くまで伺った。この日が山小屋に初めて泊まった記念の日となる。

 緊張と興奮で余りよく眠れなかったが、起床し外を見るが濃霧で何も見えず雨も降っている。諦めて大朝日岳へ登るのはパスし(ピークハントにはその頃もあまり興味はなかった)下りのルートもよくわからなかったので同宿者と途中まで一緒に下ることにした。
 銀玉水までの残雪は視界もなく初めての身にはルートが全然わからない。付いていこうとしたら方やベテラン、どんどん離され見失う。さてどうしたものかと不安で立ち止まっていたら「お〜い」と呼ぶ声がしたので一目散に駆け下りたら待っていてくれた。

 登ってきた単独行者にルートを教える。そこからは夏道が出ており迷う心配は無いのでゆっくりと熊越を目指して進む。道すがらここは晴れていたらこんな景色だとか、大朝日が見える最後の場所だとか聞きながら小朝日への急登に汗を流し心の印画紙に想像の景色を焼き付ける。古寺へ下る彼と別れまた一人静かに歩くのかと思っていたら、このまま古寺に下ろうというお誘いがありここは厚顔に徹して素直に好意に甘えた。

 小朝日の頂から鳥原小屋まではなんだかんだアップダウンがあり辛かった記憶がある。小屋で早めの昼食をとり、古寺までの下りの何と長かったことよ。途中タケノコを採りながら何度もスリップし這々の体で発電機の音が轟く古寺鉱泉に到着した頃には精も根も尽き果てた。ここでも彼の好意でお風呂とジュースをご馳走になり、日暮沢まで車で送っていただいたのには感謝の言葉をいくら並べても足りない。人の情けのありがたさ、山男の気っぷの良さに男惚れした。名も名乗らずに足早に去っていったあの人にその後会う機会は無かったが、いつの日にかどこかで会えるのを楽しみにその後朝日通いに勤しむのだった。

 それからこの山で実にいろんな人たちとの出会いがあり現在に至る。そして思う。この山行は自分にとって山遊びのスタイルが変わるきっかけであったなと。
 自分にとって原点は鳥海山、学舎が朝日だったのではないだろうか、それだけいろんな事を学んだ山だと思う。
 そしてこの山に登ると故郷に帰ったような心の安寧を覚えるのは何故だろうとずっと考えていたのだが、答えは思いがけないところから降ってきた。



 岳友が紹介してくれた一本の映画、彼は何度見ても見飽きないと…

 そしてこう言った。


 「さとりました。この舞台は朝日連峰龍門小屋にいる時の時空間と同じだと・・・」


 この不思議な山人(やまいびと)との出会いも、朝日なのだった。



 

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